トライアンフの歴史

輸入貿易会社からバイク製造をはじめたトライアンフ

トライアンフのそもそもの起源は、1885年に設立した、輸入貿易会社です。
ニュルンベルク出身のユダヤ系ドイツ人、シーグフリード・ベットマン氏によって設立されました。

完成車を仕入れ販売する業務をメインに行っていたのですが、その後、自転車の取り扱いも開始。
その際に商標名として、トライアンフとして名前を付け、自転車の販売業務が軌道に乗り始めると、製造業務も行うようになりました。

19世紀末まで自転車製造販売業務を中心に仕事を行っていましたが、その後、現代のオートバイが世間で登場。
時代の波に乗り損ねないよう、1902年に、オートバイのナンバー1を生産販売しました。

最初のモデルは、エンジンは他社製の物を利用していましたが、1905年には、ほぼ完全自社製品を製造販売。
社名もトライアンフ・エンジニアリングとして変更され、オートバイ産業に力を入れ始めました。

レースで目覚ましい活躍をするトライアンフ

その後1907年には、完走率が低いとされているマン島TTレースで完走。
世に販売されているオートバイと比べて安価でありながら、非常に高い品質を見せつける結果となりました。
その高い品質から第一次世界大戦時、軍用車として活動をされるほどだったそうです。

その後、業績悪化などによって苦難の時代を過ごすも、何とか持ち直したトライアンフは、自動車販売から独立。
オートバイ部門は、オートバイ部門のみとして、営業をしていくこととなったのです。

独立後、トライアンフは新しく、スピードツインを販売。
発売当時である1938年のバイクの主流は単気筒であったものの、並列二気筒という新たな構造にバイク乗りは興味津々になりました。
そして、単気筒よりわずかに価格が高いだけで、抜群の品質と軽さを見せたことが功を奏し、独立後の財政が一気に改善の一途をたどったのです。

トライアンフモーターサイクルとして現在でも活動

歴史と共に商標替えが頻繁に行われたものの、トライアンフ・モーターサイクルとして、現在でも数々の商品を製造、販売してきています。
1990年には当時の革命的技術を取り入れ、新型トライアンフの発売が行われ、水冷直列三気筒や、水冷直列四気筒などの、魅力的な車両を数多く世に送り出してきました。

2001年には、空冷並列二気筒のボンネビルを販売。
ファンからも非常に人気の車両が復活したとあって、多くのライダーたちがこぞって購入を行いました。

数多くの苦難や困難を乗り越えながら、現在に至るまで数多くのバイクを世に輩出している、トライアンフ・モーターサイクル。
今後も革新的技術を搭載したオートバイを販売するために、日夜研究開発が行われ続けています。

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