ベスパの歴史

ベスパの誕生

ベスパはピアッジオというイタリアのバイクメーカーの販売しているスクーターのことです。
ベスパはイタリア語でスズメバチを意味します。
もともとピアッジオは航空機メーカーでした。

第二次大戦後イタリアは敗戦からの復興を目指しました。
その一環として、小型スクーターを開発したのですがそれがベスパでした。
最初のベスパが誕生したのは1946年のことです。

航空機の構造を取り入れた画期的なスクーター

ベスパが注目を集めたのは、航空機の構造を採用している点です。
スチールモノコックボディがその象徴的存在でした。
またスイングユニットのエンジンを導入して、駆動までを一体化したスクーターとなりました。
このようなバイクは当時なく、画期的でバイクの歴史のエポックメイキング的な車種になりました。

さらに前輪には片持ちサスペンションが採用されました。
これにより、タイヤ交換が従来よりもスムーズに行えるようになりました。

ベスパは大衆車を意識していたため、ヒットしました。
イタリア国内はもちろんのこと、インドや東南アジア各国でライセンス生産されたくらいです。

ベスパはレースシーンでも様々な実績があります。
例えば1980年に開催されたダカール・ラリーではP200が4台参戦しました。
そしてその半分の2台が完走を果たしたことで、高い走破性と耐久性を持っていることが証明されました。

1951年がターニングポイント

ベスパはその長い歴史の中でいくつかターニングポイントがありました。
その中でも見逃せないのが1951年です。

この年に発表されたベスパは「フライングキロメーター」という名声ある記録を達成しました。
2気筒エンジンが平均時速171.1km・21.4秒という新記録を出したのです。

また1951年モデルは後に世界的に有名になります。
というのも映画の中でも名作の「ローマの休日」で1951年タイプのベスパが登場したからです。
オードリーヘップバーンとグレゴリーペックが乗ったバイクとして、世界的に広く認知されました。

ベスパの代表作とは

ベスパの中でも人気車種はいろいろとあります。
その中でも1967年に発売された125 Primaveraはベスパを代表する車種です。

パワフルなエンジンが搭載されて、一方で軽快なハンドリングによって優れた操作性を持ちました。
ハイパフォーマンスで1960年代を代表する車種といわれるようになりました。

シャーシーは従来のモデルと比較して、長めに設計されました。
このため2人乗りでも窮屈に感じることなく、楽しくライディングを楽しめるモデルに仕上がっています。
若い人がレジャーで楽しむスクーターとして、広くヒットしました。

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