移動手段として人気
現在は世界各国で主に移動手段として用いられているオートバイは、現在のところ約4億台が存在していると言われています。
今後は更に所有台数が伸びて、2030年には9億台に達するのではないかとも予想されています。
世界中の人にとって欠かせない存在になっているオートバイの歴史が始まったのは、約150年前のことです。
現在までにどのような歴史を歩んで進化し続けてきたのかを確認してみましょう。
オートバイの黎明期
オートバイの歴史が始まったのは1863年にフランスの発明家が蒸気機関により動く二輪車を開発して特許を取得したことが起源だと言われています。
1873年にはウイーン万博に出品されており、これがオートバイの原型だとされています。
その後、1883年にはガソリン機関を制作することができて、1886年には運転に成功しています。
20世紀に入るとアメリカでは複数のオートバイメーカーが存在していました。
現在でも有名な「ハーレー」や「インデイアン」などが創設されたのもこの頃です。
各メーカーでしのぎを削って、より良い製品開発が活発に行われていたことから、オートバイの性能は大幅にアップしていきました。
日本のオートバイの歴史
日本で最初にオートバイの記録が残されているのは1898年・明治31年に紫義彦氏が組み立てたとされる車両の写真です。
1909年・明治42年には島津楢蔵氏が初めての国産車とされるNS号を製造しています。
その翌年にはドイツやアメリカなどから輸入したバイクを販売する会社が続々誕生しました。
この頃、日本ではオートバイではなく、モーターサイクルと呼んでいましたが、大正時代に発売され雑誌でオートバイと呼ばれるようになった経緯があります。
オートバイはauto bikeという言葉に由来して誕生した和製英語なので、海外では通じないと思われます。
日本メーカーによるオートバイ生産が積極的に行われるようになったのは戦後のことです。
新しいメーカーが誕生しては淘汰されるという時代が続きながら、現在でも有名メーカーとして知られているホンダやカワサキが台頭してきました。
高度経済成長期には海外メーカーに負けない製品開発を積極的に行った結果、レースでも良い結果を出すようになったことで日本メーカーのバイクは高品質で性能が良いと高く評価されるようになりました。
日本メーカーのバイクが優勢になると、海外メーカーも負けていられないと積極的に製品開発を手掛けるようになったことで、各メーカーの製品は独自の発展を遂げて年々品質が向上するという素晴らしい結果を生み出しています。
現在では日本メーカー、海外メーカーともに特定メーカーを支持するファンが多いです。
メーカーによって品質の違いがあることから、人によって好みが分かれることも特徴的といえます。
現在日本ではオートバイの人気が下火になってきていると言われていますが、教習所では自動車免許と同時に二輪免許が取れるプランも用意されており、時間の有効利用のために二輪免許を取得する人もいます。
特に合宿免許の場合、教習所に通いやすいことと、余った時間を利用して四輪と二輪の両方を取得しようというモチベーションが高いようです。まだ免許を取得していない方は、合宿免許での同時取得がおすすめです。
合宿免許は通学よりも安く済むため、今後二輪も人気が復活していくかもしれません。